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作成日: 07/09/15
修正日: 12/02/17
クローン病の病歴
パムゾウのクローン病の病歴と現在の病状
パムゾウのクローン病歴
<概要>
・病変部位:回盲部(小腸と大腸の間)
・病歴:1991年~
・手術回数:開腹手術5回、痔瘻2回
(残存小腸は3m弱とのこと)
・治療状況:ペンタサ、コレバイン(下痢止めとして)、フラジール(抗菌剤/抗生物質)、シプロキサン(抗菌剤/抗生物質)、クラリチン(抗アレルギー薬)、眠剤
・栄養療法:エレンタール1日に4パック(1200kcal)を昼に経口、夜は経管で摂取。
・通院先:某大学病院(神奈川県内)
●1991年 1~6月 大学3年 下痢が続く日々
下痢が延々と続きおかしいと思いつつ4年生になるための試験に頑張り、無事4年になったあとは就職活動を行う。ただの胃炎だと思っていた。医者もそう思っていた(町医者)。大学に入学してから下宿や一人暮らし、食生活が変わったあたりから腹痛がひどい時があったなと思い返してみればありました。
●1991年 7月 大学4年 クローン病と確定される
就職の内定が出たものの下痢が続くため、町医者で大腸バリウム(注腸)検査を行ってもらい、クローン病の所見が出されました。紹介先の大学病院にて病名が正式に確定。
直腸と回盲部が癒着し、ろう孔を形成していた。大学病院に即入院。エレンタールの経管治療開始。難病であること、食事制限が厳しいことを伝えられ、ショックが大きかったです。
●1991年 9月 退院
便が有形になり、CRP(炎症の数値)も落ち着いたとのことで退院。
エレンタールの経口摂取をメインにした生活がつらくこのときから鼻注(ただし、ポンプは当時なかったです)。
●1991年年 12月 大量下血と腹痛で再入院
下血、そして激しい腹痛のため救急車で運ばれる。入院。そのまま年を越す。
●1992年 2月 腹膜炎を併発し緊急手術 (1回目)
卒論を書くため痛み止め(ペンタジン)を使いながら病院と大学を行き来していた。痛み止めでも腹痛が収まらないため、CT スキャンしてもらい腹膜炎を起こしていることが発覚。翌日、緊急手術。8時間に及ぶ大手術だったそう。この時、S状結腸部に人工肛門(ストマ)を取り付けられる。回盲部と直腸の癒着による瘻孔部分を切除。
就職内定は取り消しとなる。
●1992年 4月 退院 そして留年生活開始
やっと退院。しかし、卒論も書けず、単位も2単位足らなくて留年。
●1992年 10月 就職内定 社会人デビュー
今の会社へ急遽就職が決定。卒論と単位を急いで取得して大学卒業し就職。
●1993年 2月 人工肛門閉鎖手術
人工肛門の閉鎖手術のため入院・手術。無事成功。2週間の入院で退院。
●1994年 7月 手術痕化膿し入院
最初の手術痕(おヘソの下)が化膿し膿みが出てきたため入院。皮膚ろうの可能性もあったので全身麻酔にて手術。結果的には皮膚ろうではなく単なる化膿であった。2週間で退院。
●1995年 4月 腸閉塞(イレウス)で入院
2週間で退院。
●1996年 4月~6月 皮膚ろう 入院・手術 (2回目)
回盲部がお腹に癒着し入院・手術(全身麻酔)。いわゆる皮膚瘻。食べたものがお腹から出てくるようになってしまってました。CRPの値も安定し、ゴルフ等も仕事以外の趣味も充実していた時だけにショックでした。ただし、体力があったので術後の回復が早かったなあと今にしてみれば思います。
エレンタール摂取の栄養療法は行っていましたが、このときの手術以降2002年の手術までは食事制限をしてませんでした(担当外科医から潰瘍は全て切除したので食事制限の必要はないと言われ信じ込んでました。今にしてみれば自分の情報収集が甘かったです。当時はインターネットも普及しておらず主治医からの指示が絶対的だったのです)
●1998年 11月~ 心療内科系の通院開始
下痢恐怖症が引き金になったようでパニック障害を併発。睡眠障害も起こしてしまってました。クローン病の症状としては落ち着いていた。
●2000年 9月 結婚
1996年の手術後からは安定していて、食事も普通食。
●2002年 5月~6月 回盲部と尿管の癒着により手術(3回目)
小腸と尿管が癒着しひどい腹痛に見舞われ緊急入院&手術。前兆の痛みは1月くらいからあったものの病院で精密検査を受けなかったのが痛手でした(全身麻酔)。術後も尿管カテーテルをしばらく入れておりしんどかったです。便秘気味になる抗うつ剤を服用していたのが原因ではないかと個人的には分析してます。
1996年 手術からの6年間は緩解期でした。
●2003年 2~3月 貧血がひどく入院
慢性的な貧血の原因を調べるための検査入院。小腸と大腸のバリウム検査。
●2003年 8~10月 回盲部と上向・横向き結腸のろう孔が見つかり緊急入院&手術(4回目)
大腸ファイバーの検査中に大腸内での瘻孔が見つかった。出血(貧血)の原因であろうとの予測のもと手術。痔ろうもシートン法にて手術。手術後レミケードを使ったものの微量な出血は止まらず。
●2004年 2月 在宅 IVH 導入
下血&貧血が続き栄養摂取できず。
慢性的な出血の原因を調べるための検査入院。小腸造影、大腸内視鏡、胃カメラ。出血源を確定できなかったため、3月に本格的な在宅IVH を設置。体外式(ヒックマンカテーテル)IVH というものです。カテーテルを鎖骨から胸の皮下を通しました。
●2005年 4月 在宅 IVH 取り外す
調子のよい状態が続いたことと、血栓がカテーテルの先(体内部分)で出来ていたので外すことに。
●2005年 12月 大量下血で入院
複数のストレスが重なったことと、下血体質であることが重なったためか大量に下血して入院。ヘモグロビン値(Hb)は2は下がりました。レミケードを試したものの効果なし。
●2006年 2月 下血部位切除のための手術(5回目)
下血中のとき止血目的による大腸内視鏡処置を行っている際、出血部を特定。マーキングし後日手術。
●2006年 8月 微量な下血が続くため再び、在宅 IVH を導入
CRPは低いものの微量な出血が続いてしまい経口からの栄養摂取を諦め在宅 IVH を導入
●2007年3月 在宅 IVH を取り外す
経口での栄養補給ができるようになってきたことと、血栓がカテーテルの先(体内部分)で出来ていたので外すことに。
●2007年 9月 痔瘻悪化により手術
2003年10月に1回目のシートン法手術を行っていたが悪化。2回目の手術となる。肛門の周り4カ所
●2007年 11月 8週間おきのレミケード継続投与開始
微量な下血と栄養状態の改善を期待して継続投与を開始した。栄養状態は改善。
●2008年 11~12月 小腸バルーン拡張
9月の大腸内視鏡検査で大腸に近い小腸に3カ所の狭窄があることが判明。腹痛という自覚症状がありました。1mmほどしかなかった径が10mmくらいにはなりました。
●2009年 2月 2回目の小腸バルーン拡張
1月下旬から少しずつ下血が見られたので早めのバルーン拡張実施。結果的に3カ所中2カ所が少し狭くなっていた程度で、それほど悪化は見られなかった。
●2009年 8月 3回目の小腸バルーン拡張
6月に一度狭窄痛を感じていたので前回から6ヶ月ぶりという節目に拡張。3カ所中、真ん中が2mmほどまで細くなっており3カ所目には小さな潰瘍もあった。
●2010年 2月 4回目の小腸バルーン拡張
前回から半年が経過したので観察もかねて検査。3カ所中最初の2カ所は拡張の必要なし。3カ所目が3mmほどに狭くなっていて拡張。4カ所目の狭窄も発見したが癒着によりうまくバルーンのガイドが入らず放置。それほど狭窄度合いが大きくないということもあり次回以降に対応。
●2010年 3月 下血で緊急入院
起床後の便が突然に鮮血の色。二日間様子を見て治まりそうになかったので緊急入院して絶食。大腸内視鏡で検査したところ、回盲部付近の吻合部に多数の潰瘍が発見された。軽度の潰瘍とのことだったが下血体質のため大出血になったと思われる。1週間ほどフェジン(鉄剤)を投与しHb 12まで回復したので退院。
ストレスが原因だったのではないか?というのが主治医の所見。個人的にも心当たりあり。
●2010年 8月 5回目の小腸バルーン拡張
前回(2月)と同様に1カ所目と2カ所目は拡張の必要なかった。3カ所目が細くなっていたので直径1cmほどまで拡張。前回見つかった新たな4カ所目はなかなかガイドワイヤーが入らなかったが1回うまく挿入できて拡張に成功。
●2011年 2月 6回目の小腸バルーン拡張
3カ所目のみを拡張。3mmほどに狭くなっていた。4カ所目は拡張の必要がなく大腸内視鏡のファイバーが通過。造影剤と空気を送り込んだものの新たな狭窄は見当たらなかった。
●2011年 8月 7回目の小腸バルーン拡張
3カ所目のみを拡張。3mmほどに狭くなっていた。4カ所目以降は屈曲部のためバルーン拡張は避け、内視鏡が通過したのでそれでよしとされた。
●2012年 2月 8回目の小腸バルーン拡張
3カ所目のみを拡張。5mmほどに狭くなっていた。15mmほどまでに拡張。4カ所目の屈曲部(癒着部)は8mm程度でうまく内視鏡は通過せず。8mmならば通過障害を起こすことはないであろうという判断。全体的に潰瘍は全く見られず、非常にきれいだった。初めて外来での処置となった。
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